言葉が、変えていくこと

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私は政府の子ども保護センターに配属されている。
両親が亡くなってしまったり、虐待から逃げてきたり、迷子になったりした、4歳から18歳までの35人前後の子どもが一緒に生活している。
政府の予算不足のため、子どもたちの食事がなかったり、服がぼろぼろだったり、さらには少ない物資さえ盗まれたり。
日本にいたころから想像していたように、「モノ」は圧倒的に不足していた。
しかし、足りないと感じたのはモノだけではなかった。
子どもを育てる「言葉」を聞くことがほとんど無かった。


よく聞く言葉は決まっていた。
「お前、俺を挑発してるんだな??」
「あいつは何も知らない、ばかなんだよ」
10歳にも満たない子どもたちが、こうしたことを平気で言う。
一方で、どんなに耳を澄ませても感謝の言葉は聞こえてこない。


こうした言葉の習慣が、彼らにとって一番身近な職員の言動から作られていることに気づくのに、時間はかからなかった。
職員が子どもを怒鳴るときに使う言葉はそのまま子どものケンカに使われた。
「子どもが大人のために働くのは当たり前だから、それに感謝する必要はない」という習慣が、感謝の言葉を生み出してこなかった。


しばらくは、これも一つの文化かと聞こえないふりをしていたが、
子どもたちが職員の言葉をまねしては仲間を傷つけ、さらには、汚い言葉を使ったことで、職員に汚い言葉で怒られるという悪循環を放っておけなくなり、
なんとかしなくてはと思い始めた。


ケンカの挑発はその場でやめさせ、
そもそもケンカが起こりそうな場面をなるべく早くつぶす。
少しでもいいことがあったときには、
子どもがまねするくらいしつこく、
感謝や褒め言葉で伝えていく。


いままでの言葉の記憶を塗り替えなくてはいけないから、随分時間がかかるだろうな。
毎日ゆっくり続けていくことだと思っていた矢先のことだった。
一緒におままごとをして遊んでいた3歳の女の子が、
初めて「ありがとう」と言って食器を受け取った。
さらに、持ってきてくれたフォークを無言で受け取る私に対して、
「ありがとうって言ってから、もらうんでしょ?」と一言。
3歳児に注意されている自分が情けなくなりつつも、
子どものなかに、しっかりと私の言葉が入り込んでいることが嬉しくて、
その日の泥団子はおいしく食べられた気がした。


施設の建設でも、お金の貸し付けでもない、ボランティアという「人」の派遣である援助だからできること。
それはたとえば、こうして一つ一つの会話を、同じ「人」として交わすことだ。
私が彼らに話しかける言葉や、彼らが仲間同士で使う言葉が、
いつしかきっと彼ら自身を支え、仲間を助ける。
そう信じて、子どもたちとの交流を大切にしようと思う。

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日本語で書かれた自分の名前に、興味津々の子どもたち

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学校に行っていなかった子はセンター内で識字の勉強

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私の同僚とともに、ゲームを通じて公用語のポルトガル語の勉強


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外でのサッカーはいつでも大好き!

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洗濯の仕方を学ぶ子ども。年上の子どもから色んなことを学ぶ

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クリスマスの旅行で近くの世界遺産の島へ

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