シエラレオネの復興の現場から

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 ギニアとの国境に接したシエラレオネ北部のカンビア県に赴任して、早くも半年が過ぎました。
シエラレオネでは、1991年から約10年間、内戦が続き、この様子は映画「ブラッド・ダイヤモンド」でも描かれています。カンビアは特に襲撃のひどかった3つの県の1つで、現在も県全体に水・電気の供給は全くなく、また町の至る所に襲撃されて廃墟となった家があり、内戦の跡は今でも残っています。そして同僚の中にも、彼ら自身が危険な目に遭ったり、家族が殺された人もいます。


 私が派遣されているのは「カンビア県保健行政マネージメント強化プロジェクト」で、配属先は県病院の敷地内にある県保健局、19名の同僚たちと仕事をしています。先日ユニセフが発表した「アフリカ子供白書」で、5歳未満児の生存率が最も低いのはシエラレオネで、1000人当たり270人が死亡と報告されましたが、カンビア県にあるPHU(Peripheral Health Unit)と呼ばれる村の診療所56軒の大部分を訪れることで、深刻な状況を目の当たりにすることになりました。井戸がない村も多く川から運んだ水での生活、そして各々の診療所が平均約10Km離れており、その間の交通手段はなく、道路状態もかなりひどく、村で患者が出たときにとても診療所まで運ぶことはできないと痛感しました。


 そのような環境下で始まった私たちのプロジェクトの活動の一つに、村の診療所改修工事があります。カンビア県には、現在56軒の村の診療所があります。同僚たちとも検討した結果、2軒(Mange Bissan PHUとKamagbewu PHU)を今年度の改修工事対象診療所に選びました。特にMange Bissan PHUは、村人たちによって屋根半分まで建設されており、本格的な雨季が始まる前に、早急に屋根だけでも完成させる必要性がありました。Mange Bissan PHUは、カンビアの町から悪路を車で片道約1時間20分。診療所も看護師さんもいなかった村に2007年8月に看護師さんが派遣され、コミュニティの人たちが診療所を自分たちで作ろうと立ち上がった村です。7月に入ってから何度も同僚とコミュニティに足を運び、住民たちと話し合いを行いました。この活動は、あくまでもコミュニティの協力を前提にしています。話し合いの目的は、住民たちから最大限の参加・協力を得ること。その結果、コミュニティから資材運搬の船を出してもらったり、木材・砂などローカル資材は住民たちが提供し、そして住民たちによって建設作業が行われ、7月中には屋根が完成しました。さらに話し合いを重ね、9月からは本格的な作業を開始しています。


 ここシエラレオネには、村人たちによって建てられた診療所がいくつもあります。建物を供給するので是非看護師さんに来てもらいたいという村人たちの切実な思いからです。質素な建物ですが、全て村人たちの手作り。丁寧に草で編んだ塀に天井・・・。一つ一つに村人たちの心が感じられ、思わず感動してしまいました。こういう診療所で働く看護師さんは、皆さん本当に一生懸命で、診療所の中の一部屋を住まいにした過酷な生活環境にもかかわらず、文句一つ言わず反対に村人たちへの感謝の気持ちをおっしゃっていました。そして、こういう村人たちの手作り診療所は、どこでも村人や子どもたちでいっぱいです。村の集会場も兼ねているようですね。
 他人から与えられたものをただ受け取るのではなく、自分たちで苦労しながら作ったものには、やはり愛着が湧く。これは、どこでも同じですね。

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あちこちに残る内戦の跡。りっぱな家がターゲットにされたという

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Mange Bissan PHUへ行く道中。道中4つの橋が建設中の為、雨で通行がかなり困難

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Mange Bissanの村人たちと話し合い。 彼らからの積極的な協力・参加がポイント


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すでに村人たちでここまで建設されていたMange Bissan 診療所。しかし、お金がなく屋根半分で滞る 

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改修工事中のMange Bissan診療所にて

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村人の手作り診療所の内部

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