ボランティアの現場
首都バンコクから西に30キロほどの場所にあるマヒドン大学郊外キャンパス(ナコンパトム県)。医学で有名なこの大学で私は日本語を教えている。同僚の多くはバンコクに住み、車で通勤している。学生は自宅通学者も、学内外の寮やアパートに住む者もいる。
大学周辺は学生街だ。アパートには台所がない。食堂や屋台が数多くあるので自炊しないのだ。同僚も帰宅後、手間がかからぬよう、惣菜を買って帰る人が多い。また、洗濯は月ぎめでアイロンもかけてくれるサービスがある。ある意味、分業化が進んだ社会だ。
私にも行きつけの店がある。ソムタム(青いパパイヤのサラダ)の店だ。そこに気になる少女がいる。知り合ったのは2009年の赴任直後で、彼女は当時15歳だった。たわいのない話をするようになり、請われるままに簡単な日本語を教えている。教え始めた時、ローマ字を使った。読めなかった。タイ語は読めるのでタイ文字で書いて、と言う。地方出身の両親とこの街に移り住み、店の仕事を手伝ううちに、さほど勉強が好きではなかったこともあって、中学に行かなくなった。両親も小学校の途中までしか行っていない。先月、一つ上の姉が結婚するといって、田舎に帰った。入れ替わるようにして一つ下の弟がやってきた。聞けばお母さんも17で最初の子を産んだという。
この街は留学生、研究者、教師など外国の人も多い。私はタイ語で会話をするが、外国人の多くは英語で用を済ませる。彼女に日本語を教えていたある日、研究者であるアメリカ人の友人がやってきた。会話は成り立たなかった。「あの人はタイ語ができないね」と言う彼女に、「英語ができれば、私とだけじゃなく、他の色々な国の人とも話せるようになるよ」「学校に戻る気はないの」と問いかけてみた。ことばは考えを表し、他の人と交流する手段だ。また、思考の過程を左右する。この街に移り住んできたことで、彼女が多くの人、事と触れ合えれば・・・。しかし、クラスメイトより年上なので、やり直すのは恥ずかしいという答えだった。その後も変わりない日々が続いたが、ある日、土日に受講できるコースがある、申し込もうと思う、とうれしそうに言ってきた。考えていてくれたのだと私もうれしくなった。
ボランティアの現場は職場だけではない。残り9ヵ月、心をこめて身近にいる人々に接していこう。それがこの国でもらった大きな優しさへの小さな恩返しだと思うのだ。

理学部の学生たち。自由選択科目で初級日本語を教えている(筆者左)(写真:瀬畑陽介)

理学部の学生たちと(写真:瀬畑陽介)

テスト中

よく行くソムタム屋の少女。簡単な日本語を教えている

同僚(フィリピン)、留学生(スリランカ)と学内の絵画教室で

タイの人たちは優しい。教える以上に教わることが多い