これこそ本当の戦争被害者

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 スレブレニツァ市のスケラニの町には、旧ユーゴスラビアの崩壊に伴う1992~1995年の民族紛争の際に、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボから避難してきたセルビア系の数家族が住んでいる。プロジェクトの仕事を時々手伝っているツェツァもその一人である。

 
 彼女の家族が1992年にサラエボを脱出した時、彼女は当時5歳くらいで、親戚を2、3ヵ所頼り、たどり着いた最後の定住地がスケラニであった。なぜ最終地点がスケラニだったのか、彼女は知らない。

 
 ツェツァを見ていると、彼女たちの年代は、本当の戦争被害者だと感じる。当時まだ小さかった彼女たちには何ら罪はない。セルビア系、ボスニア系、両者のこの年代の若者は、人生の出発点から紛争被害者の運命を背負わされ、一生涯その影響を受けるのである。ツェツァも普通の人生を送っていたなら、サラエボで若い娘の青春謳歌の年代である。

 
 彼女はスケラニで小さな衣料品屋を開いていたが、先頃ボスニア・ヘルツェゴビナで導入された、付加価値税徴収の徹底化に必要なコンピュータシステム設置費用を工面できず、店を閉めた。それでもツェツァは、セルビアの首都であるベオグラードへ仕事で行っても、「サラエボが私のふるさと。ベオグラードよりもずっと良い」と、健気なことを言う。

 
 現在ツェツァはブルチコ近くの大学に籍を置き、約1,500ユーロの学費の工面に苦労をしており、事務所の仕事を手伝って学費を稼いでいる。プロジェクトの調査(家族数、果樹苗の状況、養蜂の状況、就学前児童等の数)は全て彼女が行う。報告内容は簡潔で、ポイントを突いている。彼女も少しばかりはプロジェクトの受益者であるかもしれない。同様に、プロジェクトで農家へ供与する温室を工夫して製作している鍛冶屋の家族もサラエボからの避難民で、今はスケラニに根を下ろしている。こう考えるとプロジェクトの裨益は意外なところにもある。

【写真】

事務所の仕事を手伝って学費を稼ぐ、セルビア人のツェツァ

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