ヨルダンに住むイラク人避難民の実際(前編)
ヨルダンの首都アンマンに、イラク支援の実際を学ぶためJICAインターン実習生として到着してから4カ月が経とうとしている。隣国イラクの紛争と経済的低迷とは対照的に、ここヨルダンはビルの建築ラッシュと湾岸諸国から避暑や遺跡めぐりなどの観光で来る外国人で賑わっている。2003年のイラク戦争終結以降、治安が悪化したイラクから脱出してヨルダンに拠点を抱えたイラク復興支援に関わるドナーたちもアンマンで活発な活動を行っている。また湾岸戦争後導入された対イラク経済制裁以降、イラクから逃避したイラク資本はここヨルダンでホテル、マンションやレストランなど様々な投資活動を展開している。
そんな賑わいとは無関係にひっそりと人々から離れて生活を営むイラク人たちが、アンマンや郊外に住んでいる。イラクの紛争から逃れて避難してきた人々だ。そのようなイラク人避難民についてご紹介したい。
ムハンマド(以下名前は全て仮名)は、バグダッドで電気店を営んでいたが、父親と兄が相次いで誘拐され、店をたたんでヨルダンへ逃れてきた。どちらも身代金を支払うことで開放され無事に暮らしている。誘拐犯が誰なのか、何のために誘拐されたのか、いまだにわからない。ただ自分たちが誰かに監視されており、命を狙われる危険の中に生活しているという恐怖から逃れるために、バグダッドを離れることを決意した。そう語る彼の言葉から、現在もバグダッドでそのような恐怖を抱えて生きている人々の様子が浮かび上がってくる。
「シェフとして、料理の腕を落とさないために、バグダッドから友人が来たときはご馳走するんです。みんな、やっぱり俺の作った料理は最高だと言ってくれますよ」
明るく、料理自慢をするのはユーセフ38歳だ。バグダッドのホテルでシェフをしていたが、ホテルは海外からの要人が多いため、米国などの協力者として反米組織に狙われることを恐れ、ヨルダンに逃げてきたと言う。対イラク戦争で圧勝した米国はサダムフセインの恐怖政治から人々を解放し、解放者として歓迎された。しかしその後、異なる宗派間の内紛やイスラム原理主義者たちの自爆テロ等の破壊活動が頻発し、反米グループが跋扈(ばっこ)し始めた。
ムハンマドやユーセフのようにヨルダンに逃れてきたイラク人は、アパートを借り、スウェーデン、ギリシャやオランダなどの第三国への定住をUNHCR(国連難民高等弁護官事務所)へ申請し登録を待つ者、イラクへの帰還が可能となる日を待って長期定住を覚悟する者など様々だ。しかし生活を維持していくための蓄えは少しずつ底をついていく。
「今はバグダッドの家と土地を売ったお金、それまでの貯金で生活していけます。しかし、減る一方で、どれだけ待てばバグダッドに帰れるか、もしくは第三国への定住が認められるか分からない状況で、これ以上の不安はありません」。そう語るモハメッドは、来年娘がアンマンの大学を卒業するが、職に就くこともできない娘の将来が不安でならないと語る。
(「ヨルダンに住むイラク人避難民の実際(後編)」に続きます)

イラク国パスポート。右からG型、S型、H型

JICAによるイラク人向け研修。イラク国内からアンマンに招へいし、イラク復興支援のための研修を実施